岡部記念館「金鈴荘」は、真岡の旧市街地中心、荒町地内にあり、敷地面積三、三九五平方米で回遊式の日本庭園千六百平方米を備え、周囲を地元産の磯山名を使用した石塀を周らしています。
 建物は、明治初期に二代目岡部久四郎氏が建築材料等を多年にわたって、地木、唐木類を集め、大工、指物師は出入りの職人を三年間東京で修業させ十年余の歳月を費やし建築したものです。この建物は、木造二階建「延べ床面積五百平方米で徹底した防火土蔵造りになっています。内部造作の特徴としては、床の間部分は全て紫檀、黒檀、鉄刀木の唐木が使用されております。また、襖類は黒檀、鉄刀木の枠で襖紙は絹下地に金箔を五層施したもので、これらの唐木類は現在なかなか手に入りにくいものであり、金箔施工についても現在の技術ではできないものだといわれます。

内部にあります書画骨董類は、地元作家の矢橋天籟(てんらい)、高久靄崖(あいがい)、白柳作の掛軸、額、佐竹永陵の襖絵山水画、宇都宮藩家老の県六石、同じく藤田素堂の天袋、地袋絵や金屏屏風等丈化財として価値あるものが数多くあります。
 金鈴荘は建築してから昭和二十七年まで岡部家の別荘として、関係者の接待や呉服の展示会場として使用されていました。また、有島武郎の小説「或る女」の女主人公「草月葉子」のモデルといわれている「佐々城信子」が後年暮らす所でもあります。
 その後、昭和六十三年六月まで割烹料理店「金鈴荘」として市民に親しまれてきました。これを昭和六十三年八月に真岡市が借り受け、真岡市近世百年の歴史、文化遺産として後世に引き継ぐため、ここに岡部記念館「金鈴荘」として保存したものてす。
高久靄崖(あいがい)
山水画掛軸
黒磯市出身の人で、江戸に出て谷文晁に学び、さらに明清の文人画を研究して、江戸の南画家として一流になった人物です。
岡部家のご紹介 初代岡部家の当主は、松兵衛といい、江戸末期に宇都宮の鈴木屋呉服店から暖簾分けし、現在の荒町に鈴木屋岡部呉服店を開店しました。

岡部家は代々学問好きで先進的な考え方を持ち、現在までの真岡市の発展に大きく貢献した家系です。

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岡部記念館金鈴荘